思いがけない出来事がもたらす喪失感
昨日、中山美穂さんの訃報を聞き、心にぽっかりと穴が空いたような感覚に襲われました。
青春時代から大人になるまで、時代をともに歩んできた存在であり、憧れていた同世代の女優さんだったからこそ、その喪失感は計り知れないものがあります。
私は昨年も、友人だった人気ボーカリストがステージで突然亡くなり、大きなショックを受けました。
少しずつ立ち直りかけていた矢先に、中山美穂さんの訃報があり、再び心が押しつぶされるような感覚に戻ってしまったのです。
この喪失感は、人が亡くなったことだけではなく、人生のさまざまな瞬間で私たちの心に現れるものです。
私自身、身内を失ったときや、元夫が若くして急死したときに感じた深い悲しみだけでなく、子供の頃に『あしたのジョー』を読み終わったとき、愛犬を失ったとき、大人になってから『BANANA FISH』を読み終えたときや、『ジョジョの奇妙な冒険』のブチャラティの死を知ったときにも、心が揺さぶられるような喪失感を味わいました。
※決して人の死とコミックの内容を一緒だと言っているのではなく、喪失感とは様々な場面で現れると感じるのです。
このような喪失感とは、何なのでしょうか?そして、どうすればそれを乗り越えられるのでしょうか?
喪失感の正体
喪失感は、「大切だった何かや誰かが失われた」という感覚から生まれる感情です。
それは、物理的な別れだけでなく、心の中で存在を強く感じていたものが消えてしまうときにも訪れます。
今の私も、中山美穂さんのような憧れの存在が亡くなり、「あの人がいることで心の中にあった時代の象徴」や、「その人を通じて描いていた自分の思い出」が失われたような気持ちになっているのです。
それは、自分の過去や青春そのものとつながる喪失感でもあります。
同じように、フィクションのキャラクターの死や物語の終わりに感じる喪失感も、「その物語を読んでいた自分自身」や「その世界に浸っていた時間」との別れを意味しているのかもしれません。
人はなぜ喪失感に苦しむのか?
人間は記憶と思い出でできている生き物です。
心を動かされた経験や、大切にしていたものが絡んでいる記憶は、私たちの「生きる意味」や「自分らしさ」を形作っています。
それを失うと、まるで自分の一部を失ったように感じるのです。
そして、喪失感が深くなる理由の一つに、「もう二度と同じものは戻ってこない」という絶対的な現実があります。
たとえその人や物語が再び思い出の中でよみがえっても、「同じ瞬間」は取り戻せません。
その事実が、私たちに強い無力感を抱かせるのです。
喪失感を乗り越えるためには?
喪失感を完全に消し去ることは難しいことですが、少しずつ心を癒し、前を向くことはきっとできるはずです。 ここで私自身が経験から学んだいくつかの方法を挙げてみます。
1. 喪失感を否定せず、受け入れる
まず、感じている喪失感や悲しみを否定しないことが大切です。「これくらいで悲しんではいけない」と自分を責めたり、「早く立ち直らなければ」と焦ったりするのは逆効果です。 心の中でしっかりとその感情と向き合い、「悲しくて当然!」と自分に言い聞かせてみましょう。
2. 思い出を語る・書き留める
亡くなった人や物語について、心に浮かぶ思い出を語ったり書き留めたりすることは、気持ちを整理する助けになります。 私は中山美穂さんの作品や曲を改めて振り返りながら、自分の青春時代を思い出す時間を持つことで、(まだ、少しずつですが)心が癒される気がしています。
3. 共有する・共感を得る
同じような喪失感を共有している人と話すのも有効です。 大切な存在を失う痛みは、他の人との共感を通じて和らげることができます。 友人や家族、場合によってはネット上のコミュニティなどで、誰かと気持ちを分かち合ってみましょう。
4. 新しい何かを始める
喪失感から抜け出すには、新しい経験や興味を見つけることも大切です。 趣味でも、旅行でも、何でも構いません。 新しい経験に夢中になることは、きっとあなたを前向きな気持ちにさせてくれるはずです。
5. 時間に頼る
何よりも重要なのは、「時間が解決してくれる」という事実を信じることです。 悲しみや喪失感は、消えることが無かったとしても、時間とともに少しずつ和らいでいきます。 焦らないて、自然と心が癒えていくのを待ちましょう。
終わりに・・・
中山美穂さんの訃報を受けたとき、私の心に去来したのは、ただ彼女の死を悲しむ気持ちだけではなく、自分の人生の大切な一部を失ったような感覚でした。
それでも、彼女の作品や存在が私の中で生き続けていると思うと、少し救われる気がします。
人生には避けられない辛い出来事が何度も訪れますが、私たちはそれを通して人の痛みがわかるようになったり、人間として成長しているのかもしれません。
悲しみを抱えつつも、前を向いて生きていく。
その先にまた、新たな喜びや意味が見つかると信じて進んでいきましょう。