
最近、同世代の友人たちとランチしていたときのこと。
「若いのに、あの子って可愛げがないのよね〜」という言葉が自然に出てきて、みんな「わかる、わかる」と頷いていました。
でも、その場ではっきり「そうね」と言えなかった私は、心の中でモヤモヤしていました。
「可愛げ」って、そもそも何?
若さと関係あるの?
いや、むしろ年齢を重ねたほうが、もっと問われるような気もする…。
今回は、わかっているようでわかっていない「可愛げ」という言葉の正体 について、アラカン世代の視点から深掘りしてみたいと思います。
可愛げの定義って?じつは曖昧

まず、改めて「可愛げ」とは何かを辞書で調べてみると…
可愛げ(かわいげ)
人に好かれるような様子。素直さ、愛らしさ、愛嬌など。
う~ん…なるほど。
でもこの定義、ちょっと曖昧ですよね。
「好かれるような様子」って…人によって基準が違いそう。
ある人には「控えめで謙虚」が可愛げ、
別の人には「明るくてお茶目」が可愛げだったりする。
つまり「可愛げ」は人それぞれの価値観に左右される、ふわっとした概念なのです。
可愛げが「ある人」と「ない人」の違いって?

ふと、昔からよく聞いた「可愛げがない」といわれるパターンを思い出しました。
自分よりずっと年上のお姑さんに対して「可愛げがなくて…」とため息をつくお嫁さん世代の話、いつの時代もよくありますよね。
それってつまり、年齢に関係なく、「可愛げ」は他者との関係性の中で評価されるものということ。
たとえば…
- 常に正論ばかり言う人
- 謝らない人
- 人の厚意を当然だと思っている人

こういう人に対しては、「可愛げがないなぁ」と思ってしまう。
逆に…
- 頼まれたことに素直に応じる人
- ちょっとしたことで「ありがとう」と言える人
- 失敗しても照れ笑いできる人



そんな人には、なんとなく「可愛げ」を感じます
もしかすると、「完璧」や「正しさ」よりも、ちょっとした「抜け感」や「素直さ」があるということが、可愛げの正体 なのかもしれません。
可愛げは「若さ」ではなく「柔らかさ」


「若いのに可愛げがない」と言われる人がいる一方で、年齢を重ねても「この人、ほんと可愛らしいな」と思える方もいらっしゃいます。
その違いは、「柔らかさ」を持っているかどうか。
若くても、自分を守ろうとして常に身構えていたり、人を見下すような態度を取っていたりすると、可愛げはどんどん遠のきます。
逆に、年配でも、にこやかに人を受け入れる心の余裕があって、自分の失敗を笑って話せるような人には、自然と可愛げがにじみ出る。
年齢よりも、「素直さ」「感謝の気持ち」「柔らかい言葉づかい」…
きっと、可愛げの根っこには、こういった「心の姿勢」があるのではないでしょうか?
「可愛げ」と「媚び」はちがうもの


最近では「可愛げを求められるなんて時代錯誤!」という若い女性の声もあります。
確かに、女性ばかりに「可愛げ」を求めるのはおかしなことです。
でも、ここでお伝えしたいのは、可愛げ=媚びではないということ。
誰かに気に入られるために無理をすることとは違うのです。
可愛げのある人は、「自分の心が柔らかくあることで、自然と周りとの関係が良くなる」といった具合にスムーズに信頼を深めることができます。
年齢を重ねれば重ねるほど、人間関係は複雑になるものです。
そんなときには、ちょっと「可愛げ」を意識してみると、周りの雰囲気が良い方向に変わるかもしれませんね
アラカン世代の「可愛げ」
「若く見られたい!」「しっかりしなきゃ!」「なめられたくない!」
アラカン世代には、そんな気持ちになる方もいらっしゃるかもしれません。
でもじつは、アラカンだからこそ、「完璧じゃなくていい」というゆるさが、人をホッとさせ、可愛げにつながることもあります。
失敗も、うっかりも、思い切って笑いに変えてしまう。
ときには「わからないから教えて」と言える素直さを持つ。
誰かに手を差し伸べてもらったら、ちゃんと「ありがとう」を伝える。
きっと、そんな積み重ねが、年齢を超えて伝わる「可愛げ」を育てていくのだと思います
まとめ|可愛げは「素直さ」と「余白」から生まれる


「可愛げがない」と言われる人の特徴は、案外シンプルです。
頑なで、人の気持ちに無関心。完璧主義で、自分を曲げられない。そんな態度が、周囲に「近寄りがたさ」を生んでしまう。


一方、素直で、ありがとうが言えて、少し抜けてて、笑顔がある。たったこれだけで、人は「この人、なんだか可愛いな」と思ってしまうのです。
可愛げは、若さではなく「心の柔らかさ」から生まれるもの。
それは、年齢を重ねた私たちだからこそ、深みを持って発揮できる魅力になるのかもしれません。