
アラカン世代になり、時間に余裕のある人が増えたせいか、久しぶりに集まろうというお誘いも多い今日この頃・・・私にはちょっと気になっていることがあります。
同窓会の案内に載っている「消息不明者」のリストです。
「どなたかご存じなら報告を」と書かれていたりしますが、名前を公にすること自体、デリカシーに欠けるのではないでしょうか?
きっと、そっとしておいてほしい人もいるはずです!
そっとしておいてほしい同窓生の事情
前回の同窓会の案内には10名ほどの消息不明者の名前がありましたが、じつは私、その中の2名については少し知っていることが・・・。

1. 高校2年の夏に引っ越した男子
高校時代の夏休み、意外な男子からこんな手紙が届きました。
「僕はもうすぐ、この町を離れることになりました。小学校の頃から君のことが好きで、ずっと言えなかった。僕のことをどう思っていたか、どうか返事をください。」
彼とは小学生の頃、席がとなりになったことがあったのですが、それ以降、話したこともなかったので、その手紙は衝撃的でした!
お年頃だった私は返事を書くこともできず・・・
その後、彼を知る人は全くいなくなってしまいました。
でも、それはきっと彼自身が「そっとしておいてほしい」と思っていたからではないでしょうか。
2.離婚して実家に戻った人
結婚して別の町に住んでいたはずの彼女。
数年前から実家に戻ってきているのを、偶然知りました。
車で通るときに一方的に何度も見かけていたからです。
私も離婚経験者なので、彼女の現状は何となく察しがつきます。
そして彼女は、学生時代よりかなりふくよかになっていて、「もしかしたら、今の姿を見られたくないのでは?」と、声をかけるのもためらわれました。
プライドが高かった彼女にとって、離婚したことも、体型が変わったことも、同級生には知られたくないことかもしれません。
そんな場合はそっとしておくほうが、彼女にとってありがたいことなのではないでしょうか。

知ることと知らせることは違う
誰かの現状を知っていても、それを周囲に伝えることが正しいとは限らないのです。
なぜなら・・・
- 社会的な立場が変わった人
- 体型が大きく変わった人
- 離婚や転職で新しい人生を歩んでいる人
彼らは過去とつながらないことで、前向きに生きているのかもしれません。
「この人、今はこういう状況ですよ」と同窓会の幹事に勝手に伝えるなんて、それは余計なお世話でしかないのです。
本人が望んでいないなら、あえて言わないこと。
それが思いやりというものです。

「消息不明」の公表は本当に必要?
そもそも、同窓会の案内で「消息不明」とフルネームが掲載されることに違和感を覚えたことはありませんか?
中には、意図的に過去の人間関係を断ち切った人もいるかもしれません。
それなのに、本人が知らないうちに名前をリストに載せられ、さらに情報提供を求められるということは、望まない詮索につながる可能性もあるのです。
「消息不明」の公表が、相手にとって負担にならないか?
そこを考えることも、大人のマナーではないでしょうか。

「再会」よりも「そっと見守る」優しさを
今はSNSで簡単に人を探せる時代になりましたが、それが「知る権利」になってはいけません。
人には「そっとしておいてほしい自由」もあります。
考えてみましょう!
- 突然の連絡で相手を困惑させないか?
- 昔の関係をそのまま続けたいと思っているのか?
- 今の生活を大切にしたいと思っている可能性は?
「懐かしいから」「再会したいから」という気持ち、もしかしたら興味本位で「どうしているか知りたい」という気持ちの人もいるかもしれません。
ただ、相手がどう感じるかを第一に考えることはとても大切です。
距離をとっている人や連絡しない人には、何か事情があるはず。
そっとしておくことこそ、本当の優しさ、思いやりかもしれません。