
最近、友人との間で「介護」の話題が増えてきました。
アラカン世代になると、親の認知症や、寝たきりの生活について切実な悩みを抱える人は少なくありません。
今のところ、私は介護とは無縁の生活を送っているので、介護に追われる友人からは「うらやましい」と言われます。
でも、私は決して他人事だとは思っていません。
昨日までの元気な姿が、ほんの一瞬で変わってしまうことを友人たちの姿から学んでいるからです。
今の私は、ただ「順番がまだなだけ」かもしれません。
そこで今回は、いつか来るかもしれない「その時」に向けて、そして今まさに戦っている友人のために、私たちが知っておくべき、心の持ち方について考えてみました。
親の介護で「自分の人生」が変わる?

私が「他人事ではない」と強く思うのは、身近な友人たちが、介護によって人生の大きな決断を迫られている姿を目の当たりにしているからかもしれません。
介護が始まるきっかけは、本当にさまざまですが、中でもとくに多いと感じるのが、「親の転倒」です。
これを境に、生活の優先順位がガラリと変わったという話はよく聞きます。
◆ 移住先からの帰国
長年親しくしている友人のお父様は、転倒したのをきっかけに認知症が悪化。友人は海外での生活をすべて畳んで、日本へ帰国することになりました。
◆ キャリアを断念して退職
仕事と介護の両立に限界を感じ、長年勤めた会社を辞めた友人は何名もいます。
積み上げてきたキャリアや住まい、自分の将来設計。
それらが一瞬で書き換えられてしまう現実に、友人の中には「これで自分の人生、終わったかもしれない……」と、深い絶望を感じてしまう人もいます。
「親の介護」と「自分の人生」。
その二つの間で激しく揺れ、自分が消えていくような感覚に陥ってしまう。
その変化の重みに、私は言葉を失うこともあります。
介護で「メンタルがやられる」前に知っておきたいこと

友人たちの様子を見ていて一番胸が痛むのは、身体的な疲れ以上に「メンタルがやられる」という心の限界。
多くの人が口にするのは、次のような「行き場のない感情」です。
1.愛情はあるのに優しくなれない苦しみ
育ててもらった恩を感じている大好きな親なのに、同じことを何度も聞かれたり、わがままを言われたりするうちに、どうしても優しくなれない瞬間はあるそう。つい声を荒らげてしまい、親が寝静まった後に「なんて冷たい娘なんだろう」と自分を責めて、一人で泣いている友人も。この自己嫌悪こそが、一番彼女のメンタルを削っていくのです。
2.きょうだい間・親族間の温度差
介護は、これまで見えていなかった家族の溝を浮き彫りにします。「近くにいるから」「女性だから」と特定の誰かだけに負担が偏り、非協力的なきょうだいに対して怒りが消えない。一番理解してほしい家族に背を向けられる孤独感は、介護そのものよりも心を深く傷つけます。
「親のことは大切だけれど、もう限界……」 そんな声を聞くたびに、介護は肉体労働だけではなく、極めて過酷な「心と心」の戦いなのだと痛感します。
「うらやましい」と言われる側の人が、今できること

私のように今は介護と無縁でいる立場でいる場合、つい「何かいいアドバイスを」とか「励まさなきゃ」と思ってしまいがちです。
でも、人生を懸けて親と向き合っている彼女たちの前では、外野からの正論は何の助けにもならないと感じます。
「頑張ってね」という言葉さえ、すでに限界まで頑張っている彼女たちには「これ以上何を頑張ればいいの?」という重荷になるかもしれません。
今、私にできるのは、「ただ、ジャッジせずに受け止めること」だけです。
◆ ただ、聞いてあげること
彼女たちがふと漏らす弱音を、否定せず、アドバイスもせず、そのまま受け止める。「それは大変だったね」「本当によくやっているよ」と寄り添うだけで、彼女たちの心のコップから溢れそうになった水が、少しだけ減るのかもしれません。
◆ 日常を当たり前だと思わないこと
親が元気で、自分の時間が自由にある。この今の状況を「当たり前」だと思わず、一日一日を大切に過ごすこと。それが、今苦しんでいる友人たちへの、私なりの誠実な向き合い方だと思っています。
いつか来るかもしれない「その日」を、どう迎えるか?

いつか自分の順番が来たとき、私は友人たちのように立派に立ち振る舞えるでしょうか。
正直にいうと、とても不安です…。
だからこそ、まだ余裕がある今のうちに、強く心に留めていることがあります。
「完璧な介護」を目指さない。
「自分の人生」を親に捧げすぎない。
自分のメンタルがやられて共倒れになってしまっては、元も子もありません。
親を大切に想う気持ちと同じくらい、自分自身の心を大切にすること。
「介護は一人で抱え込むものではない」「いざとなったら、プロの力を借りていい」。
このことを、今のうちから自分自身に深く言い聞かせています。
介護はきれいごとでは済まないからです。
理想を追い求めすぎて自分が壊れてしまったら、誰が親を支えるのか。
そう自分に問いかけることも、一つの愛情ではないでしょうか。
最後に…|私たちは、みんな繋がっている!

介護は、ある日突然やってきます。
それは、昨日まで笑顔で話していた日常が、音を立てずに崩れていくような経験かもしれません。
「うらやましい」と言われる側にいる今の私は、友人たちが流している涙や、やり場のない怒りを、決して他人事ではなく「未来の自分へのメッセージ」として受け止めています。
私たちは、決して一人ではありません。
その意識を持ち続けることが、いつか来るかもしれない「その日」をしなやかに受け止め、今まさに真っ只中にいる友人の心に寄り添える第一歩になると信じています。
