
アラカン世代に入り、それぞれの人生の形が少しずつ変わりはじめると、友人たちとの話題も変化します。
子育て真っ最中の頃は、受験や学校行事の情報交換で盛り上がっていたのが、いつの間にか話題の中心は就職、結婚、そして――「孫」へ。
もちろん、誰も悪気なんてありません。
でも、その変化の中に、人間関係の「温度差」を感じてしまうこと、ありませんか?
今回は、にわかに周りをざわつかせはじめた「孫自慢」と、その心理や対処法について考えてみましょう。
孫の写真…「見せられる側」の気持ち

私を含め、「新人アラカン世代」は、まだ大学生やティーンの子どもを育てている場合もあり、孫はまだ「未来のどこか」の話。
でも、少し上の先輩世代になると、すでにお孫さんがいる方も少なくありません。
そんな中で…
- 孫の連続する写真と動画
- まるで速報のような孫の発育報告
- SNS上での孫フィード連投
こうした「幸せの過剰共有」がはじまると、受け取る側としては、ちょっと息切れしてしまうこともあります。
「孫ハイ」の裏にある心理

孫ができることは、心から祝福すべき素晴らしいことです。
ただ、その語り口が、単なる「喜び」を超えて、どこか「勝ち誇っている」ように見えてしまい、モヤモヤするという人も少なくありません。
じつはその裏には、この世代特有の心理が隠れていることがあるようです。
1.「子育ての成績表」をもらった気分
自分の子どもが結婚し、孫が生まれること。それを、自分の過去の子育てに対する「最高評価の成績表」や「卒業証書」のように感じているケースです。 「私の育て方は間違っていなかった」「私はちゃんと命を繋いだ」という安堵感が、孫という「トロフィー」を高く掲げる行為につながっているのかもしれません。
2.人生の「正解」を確認したい
「結婚して、子どもがいて、孫がいる」=「人生のフルコース」という古い価値観に、無意識に縛られている場合もあります。 悪気なく「あなたも早くこちらの側に来ればいいのに」という空気を醸し出してしまうのは、自分が「正解のルート」にいると信じて疑わないから。
つまり、あの誇らしげな態度は、相手へのマウンティングというよりは、「自分の人生を肯定したい」という必死な心の表れなのかもしれません。
そう分析してみると、少しだけ冷静に受け流せる気がしませんか?
「新人アラカン」の現在地

ここで一度整理しておきます。
アラカンになりたての世代は、まだ「子育ての出口」に立ったばかり。
たとえばこんな状況の人も…
- 高校生・大学生の子どもを抱えている
- 子供の留学・就活・院進のサポートをしている
- 自立を見守っている
一方で、ほんの5〜10歳上の世代は、子育てを卒業して「次のステージ(祖父母)」に進んでいます。
少しの年齢差でも見ている景色や時間の流れがまったく違うこともあるのです。
「子どもの自立を静かに応援している時期の人」と「 孫の成長という新しい喜びに沸いている時期の人」。
この「時差」が、会話のズレや、ちょっとした重たさの原因なのかもしれません。
大切なのは「拒絶」ではなく「境界線」

では、どうすればこのモヤモヤを解消できるのでしょうか。
大切なのは、相手を否定することではなく、「やわらかな境界線」を引くことです。
大人の距離感とは、無理して付き合うことでも、バッサリ切り捨てることでもありません。
「ここまではOK、ここからは休ませてね」というラインを持つことだと思います。
さまざまな立場への想像力

そして、忘れてはいけないのが、人生の形は人それぞれだということ。
お子さんがいない方、結婚を選ばなかった方、おひとりさまを楽しんでいる方。
“孫がいること”が、人生のゴールや正解ではありません。
「あなたもそのうち」
「やっぱり孫がいると違うわよ」
そんな何気ない一言が、誰かの心をチクリと刺してしまうこともあります。
「孫がいる=幸せの完成形」ではないし、「いない=不足」でもありません。
喜びを語る前に、「相手は今、どんな状況かな?」と想像する余白を持つこと。
それこそが、私たち世代が持ちたい「品格」なのかもしれません。
角が立たない「孫自慢」への対処法
無理に合わせすぎて疲れてしまう前に、こんな言葉でやんわりと距離をとってみませんか?

1. 写真や動画が止まらない時
- 「かわいらしいですね。今日はこのあたりで…。」
- 「また今度、時間のある時にゆっくり聞かせて下さいね。」
無理に鑑賞し続ける必要はありません。拒絶ではなく区切りを伝えることが大人の距離感です。
2. 孫エピソードが途切れない時
- 「素敵な時間ですね。ところで…」
- 「その続き、また聞かせてくださいね。」
共感してから、自然に別の話題へハンドルを切る。または終了させる。
3. 聞く余裕がない時
- 「おめでたいことですね。」
- 「その喜び、大切にされてくださいね。」
深入りせず、相手の幸せを尊重する形で会話を納めます。
「かわいい」と「自慢」は別のもの

ここで誤解のないように、気持ちを整理しておきます。
赤ちゃんや小さな子どもはたしかに可愛い存在です。
ただ、ここで伝えたいのは別のこと。
自分が喜びを持つことと、全員に報告することは別。
自分が大切に思うことを、相手にも同じ温度を求めることは別。
自分の幸せをどのくらい人と共有するかは、 相手の状況や心の余裕に合わせる必要があるのではないでしょうか。
まとめ

孫という存在は誰かの人生にとっての喜びであり、未来の光です。
その尊さを否定する必要も、誰かと競う必要もありません。
ただ、私たちがこれから大切にしたいのは、その「届け方」なのだと思います。
見せたい気持ちと、受け止められる量は、いつも同じとは限りません。
言葉を発する前に、相手の心に「受け取る余白」があるか、少しだけ想像してみる。
その小さな配慮があるだけで、関係は驚くほど穏やかになります。
無理せず、拒絶せず、ただ丁寧に境界線を引くこと。
それが、これから続くアラカン世代の関係を、気負わず、風通しの良いものにしてくれるはずです。
