皆様、こんにちは! 今日は私の懐かしい思い出、「昭和の田園調布」を語らせてください。
私が子供の頃の田園調布、閑静な住宅街という印象だけではなかったのです!
本格的な遊園地があった!
今では考えられませんが、かつて田園調布には「多摩川園」という子供から大人まで楽しめる本格的な遊園地があったのです! ご存知でしたか?
開園と人気のピーク
多摩川園が開園したのは1930年代。
開業当初は、まだ東京の郊外に近いこの地域に人々が住み始めたばかりでした。
そんな中、多摩川園は家族で気軽に訪れることができるレジャー施設として、たちまち多くの人々に愛されるようになります。
アトラクションも魅力的で、ジェットコースターや観覧車など昭和らしいレトロなものが揃っていました。
幼少の頃の私は、「びっくりハウス」や「ミラーハウス」「空飛ぶダンボ」などがお気に入りでした
毎年夏になると「オバケ屋敷」も設置され、そのシーズンだけは遅くまで営業していて、家族で夜の遊園地に出かけるのも町の風物詩のようになっていました。
町内なので、同級生にバッタリ会ったりすることも多かったです!
そういえば、周りには名物だった鮎焼き(餡の入ったお菓子)を売るお店もたくさん並んでいましたっけ。
みんな、いつの間にかなくなってしまいましたけれど…。
多摩川園の閉園とその後
時代が移り変わり、1980年代に入ると多摩川園は徐々に入場者数が減少し、1982年に閉園しました。
その後、跡地はテニスクラブ(ラケット倶楽部)を経て、現在のせせらぎ公園へかたちを変え、多摩川園の面影はまったく残っていません。
多摩川園は、多くの昭和世代の人々にとって「もう一度行きたいけれど行けない」場所となりました。
それでも、その思い出は未だに語り継がれていて、SNSやブログなどでも昔の写真やエピソードがシェアされ、昭和の香りを感じる場所として、今なお人々の記憶に残っています。
その存在が日本の遊園地文化の一部であったことは間違いありませんね。
伝説の田園コロシアム!
田園コロシアムは、テニスの試合会場として設立されたのちに、音楽やスポーツイベント、テレビ番組の収録、演劇など多様な用途で使用された目的屋外スタジアム。 田園調布という閑静な住宅地にありながらも、数々の有名アーティストやスポーツ選手が集う場所として伝説を残しました。
テニスコートとしての始まり
田園コロシアムは、まずテニス愛好家のためにオープンしました。
すると、テニスを楽しむのに理想的なスポーツ施設として評判を呼び、やがてプロの試合やトーナメントも開催されるようになったのです。
『エースをねらえ!』の試合会場としても登場していました。
コンサートや格闘技の会場にも!
1970年代後半から1980年代にかけて、田園コロシアムは音楽ライブ会場としての役割も拡大。
著名なアーティストたちがここでライブを行い、そのシーンは当時のファンにとって特別な思い出となりました。
たとえば、ザ・タイガース、 チューリップ、 オフコース、 ツイスト、 サザンオールスターズなどがこの郊外の静かな環境で独特の雰囲気でライブを行い、今も語り継がれる伝説を生み出したのです。
当時大人気だったピンクレディーのときも大騒ぎでした!
コンサート以外にも、「ジャンボ鶴田VSミル・マスカラス戦」や、「アンドレ・ザ・ジャイアントVSスタン・ハンセン戦」といった名勝負をはじめ、アントニオ猪木、二代目タイガーマスク、アニマル浜口などといったプロレスラーの試合も行われました。
ダンプ松本のデビュー戦もここ!
田園コロシアムの終焉とその後
田園コロシアムは1990年代初頭に閉鎖され、その後解体されました。
背景には住宅街での騒音問題や、施設の老朽化、維持費の増加があったとされます。
跡地は再開発され、現在は集合住宅「ドレッセ田園調布プレゼンス」が建っています。
隣接する「田コロ児童公園」に名残が・・・
閉鎖から数十年が経った現在でも、かつての田園コロシアムを訪れた人々にとっては、今もなお記憶に残る場所であり、ノスタルジアを感じる方も多くいることでしょう。
巨人グラウンドと“多摩川ギャル”
まだまだあります! 当時の田園調布には巨人軍の多摩川グラウンドがあって、大人気の野球選手たちが練習していたのです!
「多摩川ギャル」とよばれた追っかけ
巨人グラウンドは多摩川の河川敷にあったので、選手たちを応援するファンの女の子たちは「多摩川ギャル」と呼ばれていました。
たしか、熱狂的な多摩川ギャルとゴールインした選手もいたような記憶があります
小学生だった私は、繋がりで何度もグラウンドの中に入れてもらえたのですが、選手たちと話した後はギャルたちに罵声を浴びせられた覚えもあります・・・。(ちょっと怖かった思い出!)
田園調布の住民もサポーター!
地元の子供たちにとっても選手たちはまさにヒーローでした!
町内には長嶋さんをはじめ、ジャイアンツの関係者が住んでいらっしゃいましたし、ファンには夢のような日々だったと思います!
親しみやすいお人柄の長嶋さんと気軽に話す機会まであったなんて、今思えば本当に贅沢な思い出ですよね!
その後、ジャイアンツの練習場もいつの間にか違うところにうつってしまいましたので、田園調布にあれだけ大勢のファンが押し寄せた日々も、今となっては懐かしいかぎりです。
選手たちも愛した『グランド小池商店』というおでん屋さんは、今も残る聖地!
夢と活気が溢れていた田園調布
昭和の田園調布は、閑静な住宅街でありながらも、本格的な遊園地やコンサート会場、巨人軍のグラウンドなどが身近にあり、子供ながらに「日本で一番楽しい町かも!」なんて思っていたほどです。
今も昔も田園調布は穏やかで落ち着いた町であることには確かなのですが、あの時代ならでは華やかで楽しかった側面は私の心にいつまでも残っています。
昭和の田園調布は意外に“アツかった”!と今になって気づきました