以前、田園調布が変わってきている様子をお伝えしたのですが、今回は、最近見かける少し違ったスタイルの住まいと車にまつわるエピソードについて触れてみたいと思います。
住まいと車の価値観
かつての田園調布は、渋沢栄一氏の都市計画のもと、整然とした美しい住宅街として知られていました。
その中には運転手つきの車や広いガレージを備えた邸宅も多く、生活全体に調和が感じられたものです。
しかし、近年、少しずつその風景が変わりつつあることに気づかされます。
不釣り合いな高級車
新しい住民の中には、とても小さな、古びた住宅を購入したり、借りたりする方もいらっしゃるのですが、建物の規模とは明らかに不釣り合いな高級車を所有するケースも増えたように感じます。
立派な邸宅に高級車という、かつての田園調布の象徴的な姿とは違い、屋根のない小さなスペースに雨ざらしで停められている高級外車を見ると、家主の「がんばっている感」が伝わってくるのです。
かつては、家と車が調和している姿が多かっただけに、このアンバランスな光景には、かなり不自然さを感じます。
「せめて車だけでも」という心情
ある方は、「住まいは高くて手が届かないから、せめて車だけは良いものにしたい」という思いから、憧れの高級車を選んだと語っていました。
この気持ちは、物理的に高価な家を手に入れられない分、車で満たそうとする一つの価値観とも言えるでしょう。
また、「外に出てしまうと住所と乗っている車で判断されるから」と話す方もいました。
田園調布という住所と高級車に価値を見出し、「外で良い思いをしたい」という考え方も少しは理解できる一方で、それが本当に幸せなことなのかと感じることもあります。
人を自宅に招けない悲しさも
そうした方々は、「家を見せられないので、友人を呼べない」といいます。
人に家まで送ってもらうことも断るそうです。
外での見栄や評価を気にするあまり、家の状況や暮らしに制約が生まれてしまうということでしょうか?
住んでいる家が理想とかけ離れていても、田園調布の住所と高級車があることで「自分の価値」を保てると考えているのかもしれませんが、それはとても寂しいことに感じられます。
車が好きだからこそ、考えるべき?
もちろん、純粋に車が好きで、夢だった高級車を所有する方もいるでしょう。
けれども、屋根もない小さな駐車スペースに、雨ざらしで停められている高級車を見ると、車に対する敬意が欠けているようにも感じられます。
好きだからこそ大切にする、そして環境に見合った所有の仕方があるのではないかとも思うのですが・・・。
新しい価値観の変遷
古くからの住民にとって、田園調布のこうした変化は少し寂しく感じるものです。
しかし、時代とともに人々の価値観やライフスタイルも変わり、それが田園調布という町の新しい顔を形作っているのかもしれません。
それでも、家や車の「見え方」ではなく、住む人々の生活が心から幸せであることが、この町の真の魅力に繋がるのではないかと思います。
これからの田園調布が、より自然で心地よい住環境となるよう願ってやみません。