以前、『田園調布へようこそ♪』でお伝えしたのですが、わが家は四代にわたってずっと田園調布で暮らしています。ここが大好きなのは変わりませんが、じつは最近、少しさみしく感じたりもしています。今回は、私のつぶやきで失礼致します・・・。
子供時代の田園調布
私が生まれ育った田園調布は、1918年(大正7年)に曾祖父が渋沢栄一氏の都市計画に共感し、住み始めた場所でした。
静かで美しい、自然と調和した街並みの中で、子供時代の私はとても平和な時間を過ごしていました。
家々は手入れをされたお庭のある一軒家が多く、四季折々の花々が咲き、道を歩けば近所の人々と挨拶を交わす、そんな穏やかな日常がありました。
田園調布の町は、渋沢栄一のビジョンである「田園都市」の理念を体現する場所だったのです。
今よりももっと生真面目な町(?)と言ったらいいのか、セレブとかブランドとかそういったものよりも、もっと大切な何かがあったように思います。
大人になってからの田園調布
あれから年月が経ち、町の様子はすっかり変わってしまいました。
親しくしていた同級生のほとんどは、もうとっくにこの町を離れました。
両親の代で家を手放したり、結婚などを機に他の場所に移ったりと、町の顔ぶれはどんどん変わっていきました。
新しく入ってきたのは、バブルの頃に華やかな暮らしをされていた方だったりしましたが、その後はすぐにいなくなってしまったり、入れ替わりが激しい時期もありました。
近年では、お子様を田園調布の幼稚園や学校に入れたくて引っ越してくる方、ブランド化したこの町の住所をほしがる方も少なくないように感じます。
田園調布は以前と比べて非常に異なる空気を持っています。
もちろん、家々の佇まいは美しいままですが、そこに住む人々のカラーは大きく変わりました。
外から見るかぎり華やかで高級なイメージは残っているものの、商店街の馴染みの店が次々と姿を消したり、昔のような人々の結びつきは感じられません。
どこか無機質で、近くに住む人たちのこともよく知らない、そんな距離感が広がっているように感じられるのです。(もちろん、それがすべてではありませんが。)
この変化にさみしさを感じる一方で、時代の流れと共に町も変わっていくのは避けられないことだと理解しています。
それでも、「あの頃の田園調布」が私の心の中に深く残っているのは、やはりあの時代の町が私にとって特別だったからでしょう。
ちゃんとこの町を楽しむことも忘れてはいませんよ
曾祖父が愛した田園調布の理想は、静かな環境で人々が自然と共に暮らすことでした。
その夢が今の町にも残っているのかどうかは分かりませんが、私はこの場所で育った記憶を大切にしながら、変わりゆく町を見つめ続けていきたいと思っています。
あの頃の町が、いつの日か再び戻ることはありません。
それでも、私の心の中には今でも、「あの頃の田園調布」が生き続けているのです。